2018年5月10日にシナノ精機は創立30年を迎えます。これも平素ご支援いただいている皆様のおかげと社員一同深く感謝しております。
これにあたり、この30年間の弊社の歩みについて振り返ってみました。

設立前
1970年代後半、シナノ精機の現会長上原一俊、は大手オーディオメーカーで製造責任者として、斬新なアイデアで製造プロセスの改革をし、同社の新製品の拡充に貢献しました。同社のオーディオは米国でも認められた逸品で、上原が成し遂げた量産化により多くの顧客を獲得し、同社は上場を果たしたのです。
上原はこの時期に量産ノウハウ、外注展開、人的ネットワークなど多くの経験を積みましたが、持ち前のベンチャー精神でさらなる飛躍を求めていたところ、当時黎明期を迎えた半導体業界の製造装置メーカーに請われ、製造責任者として着任しました。

シナノ精機設立
折しもこの時期バブル景気により、半導体業界もまた活況を呈していました。上原は転職先の半導体装置メーカーでもこれまでの経験を活かして画期的な製造プロセス改革を進め、構内外注方式などにより実績を上げていきます。しかし頭痛の種は、様々な顧客の要望にスピーディーに対応するためのリソースでした。
たとえば、「今日中に試作機のデータを取りたいが、ちょっとした手直しが必要」という場面で、要求にすぐ応えられてくれる、あるいは創意や工夫に満ちた提案をしてくれる外注先を探していましたがなかなか見つかるものではありません。
そこで上原が思いついたのが、前職で得た人的ネットワークの活用です。上原自らも出資者となり、高いスキルを持った技術者を集め、現場の要望に迅速・的確に対応できる製造外注企業が新潟県長岡市で産声を上げました。1988年のことです。
当初は市の外れにある借家1間からスタート。上原はそれまで中越地方にゆかりがありませんでしたが、長岡を訪れた際に目にした雄大な信濃川の景色に心を奪われ社名を「シナノ精機」としました。

業績拡大
「現場で顧客の役に立つ融通の利く会社」というのは創業の趣旨であり、この精神は「現場主義」と「顧客満足」の2本柱としてシナノ精機の拡大を後押しすることになりました。シナノ精機は顧客の信頼を得て、順調に業績を伸ばしていきます。設立後すぐ装置OEMも手掛けるようになり、増え続ける需要に追いつくため、青森県弘前市に工場を設立。その後も大口の仕事が増え、1989年青森県田舎館にも工場を構え、企業としての基盤が確立していきました。
また長岡には精密機器関連の企業が数多く存在します。技能の高い中小企業を外注先として使ったり、あるいは使ってもらったりしていくうちに、長岡市内でのネットワークもどんどん広がっていきました。

シリコンサイクルへの対応
現在、スーパーサイクルに突入したと言われている半導体業界の景気ですが、シリコンサイクルという需要の浮き沈みには過去、多くの企業が翻弄されました。
特に1993年の不況時には、多くの半導体関連企業は規模を縮小せざるを得ませんでした。上原は当時を振り返り「当社も例外ではなく工場を閉め、土木作業に従事して糊口をしのいだ社員もいた。経営者としてとてもつらい時期だった」と言います。
この不況に対応するため、シナノ精機はシリコンサイクルの影響の少ない顧客の仕事を頂くことで、起死回生のチャンスを伺ったのです。

新規ビジネスと社屋購入
半導体業界の景気回復とともに、シナノ精機の業績も上向きとなり、事業の拡大を見越し長岡市南陽に、現在の本社の土地と建屋を購入しました。新工場設立により、レーザーや半導体洗浄装置等、新しい分野の装置製造に積極的に参入できるようになったのです。社屋内には、これまで助け合ってきたネットワーク企業であるアイメット(機械設計担当)と、アプトシステムズ(アフターサービス担当)も入居し、3社で設計・製造・アフターサービスのトータルソリューション提供が可能になりました。この時、上原は勤務先を退職し、正式にシナノ精機の社長に就任したのです。

苦難と再生の時代、そしてこれから
2008年のリーマンショックではシナノ精機も大きな打撃を受けました。社員の約半数は退職を余儀なくされ、それぞれ別の道を歩むことになりました。2009年は社史に残る苦難の時代といっても過言ではありません。
その後の景気回復時に、残ったメンバーで再スタートを切りました。顧客から少しずつ仕事が戻ってきて、業績を回復していったシナノ精機は、2010年に大口のOEM製造の契約を締結しました。加えて産業のグローバライゼーション化が追い風となり海外との取引にも着手。今では外国人の社員もおります。
最近は新しい技術を持つベンチャー企業との協同ビジネスにも積極的に取り組んでいます。
これからも創業の精神である現場主義と顧客満足、そしてベンチャー精神で、社員一丸となって実直に歩みを進めていく所存です。